ブログ 美術館だより
2025/04/23 (Wed)
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2007/01/08 (Mon)
新春旅に在り
ふるさとは吹雪だというのに、ここ長崎はポカポカとした日がつづく。
大輪の真紅の山茶花が陽に輝いて、港町を取り巻く山々は少しばかり夏山とは違った、くすんだ色に変わっただけで、紅葉万山を包むなどという景観はついぞ見ることも出来ない。
まして白雪の山なみに心をさされるような季節感というものをここでは感じ得ない。
私は終戦後十五回、何はともあれ元旦の雑煮は、山家で祝った。
ゆく年も迎える年も、私にはなんのかんばせもなかったけれど、そうしなければならぬもののように一人ぎめに元旦は、わが家に在って山妻の乏しい中での手料理に腹をふくらませて、こたつでのうのうと新しい年の最初の日をば迎えたのだが。
しかしふり返ってみるまでもなく、まるで宿命のように近年、年の暮れをば山家に居付いてはいないようだ。いつでもすべり込みの態たらくで、よくて三十日、どうかすると三十一日という大晦日に大ていは東京から舞い戻るのを通例とした。
それが昨年になると、三十日にこの長崎を発って、大晦日に上野からの夜汽車にのり、元旦の朝にわが山家にたどりつくという仕儀を演ずるようになった。
(中略)
昨年は二月以来長崎に在り、十月の一か月だけ東京と、そして山家ですごして、ここ長崎で宿屋住いで一年をすごしてしまった。街にジングルベルがなり、大売り出しの旗のなびくもとに人々は沢山の荷物を抱えて走り廻るというのに、家庭と絶縁している旅人の私には、父として、夫として、主人としてなんの仕事もありようがなかった。
まるで別世界の男のようにキャンバスに絵具をぬたくっておれば港に灯はともるのである。
今年もまた、三百六十五日、宿のめしを、山家の妻ならば眼をみはるような南国の据膳を、なんの表情も浮かべずに食べるのであろうか。(長崎市にて)
―――今井繁三郎随筆集「雑言」より(荘内日報1961年1月)
大輪の真紅の山茶花が陽に輝いて、港町を取り巻く山々は少しばかり夏山とは違った、くすんだ色に変わっただけで、紅葉万山を包むなどという景観はついぞ見ることも出来ない。
まして白雪の山なみに心をさされるような季節感というものをここでは感じ得ない。
私は終戦後十五回、何はともあれ元旦の雑煮は、山家で祝った。
ゆく年も迎える年も、私にはなんのかんばせもなかったけれど、そうしなければならぬもののように一人ぎめに元旦は、わが家に在って山妻の乏しい中での手料理に腹をふくらませて、こたつでのうのうと新しい年の最初の日をば迎えたのだが。
しかしふり返ってみるまでもなく、まるで宿命のように近年、年の暮れをば山家に居付いてはいないようだ。いつでもすべり込みの態たらくで、よくて三十日、どうかすると三十一日という大晦日に大ていは東京から舞い戻るのを通例とした。
それが昨年になると、三十日にこの長崎を発って、大晦日に上野からの夜汽車にのり、元旦の朝にわが山家にたどりつくという仕儀を演ずるようになった。
(中略)
昨年は二月以来長崎に在り、十月の一か月だけ東京と、そして山家ですごして、ここ長崎で宿屋住いで一年をすごしてしまった。街にジングルベルがなり、大売り出しの旗のなびくもとに人々は沢山の荷物を抱えて走り廻るというのに、家庭と絶縁している旅人の私には、父として、夫として、主人としてなんの仕事もありようがなかった。
まるで別世界の男のようにキャンバスに絵具をぬたくっておれば港に灯はともるのである。
今年もまた、三百六十五日、宿のめしを、山家の妻ならば眼をみはるような南国の据膳を、なんの表情も浮かべずに食べるのであろうか。(長崎市にて)
―――今井繁三郎随筆集「雑言」より(荘内日報1961年1月)
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