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ブログ 美術館だより

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2007/01/26 (Fri) 銀世界はどこへ?
82124c8a.JPG1月下旬といえば最も寒い時期だというのに、全く雪がありません。去年、降り積もる雪に悩まされていたのが嘘のように、灰色の雲の間から時々のぞく青空。不思議な気分です。
ちょうど一年前の今頃に、「新日曜美術館」の取材がありました。時折吹雪く悪天候の中、当番組の制作会社“NHKエデュケーショナル”のスタッフがいらっしゃいました。真っ白な雪が深く積もり、美術館もすっぽり雪に埋もれた状態。しかし取材クルーの方々は、厳しい寒さの中でもプロの仕事を果たすべく、外でも館内でも長い時間をかけて撮影されていました。暖房設備のない館内は夜には更に冷え込み、それでも妥協を許さない撮影のプロ意識には凄みすら感じました。取材は約3日間かけて行われたのですが、皆さんはいつもコンビニの(?)お弁当を持参。連日冷えたお弁当では…ということで、知り合いの方々が庄内風芋煮汁や、弁慶飯、自家製のお漬物等を差し入れて下さいました。そんなふうに、様々な方のご協力で、無事に取材クルーの皆さんをお送りすることが出来たのです。
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2007/01/08 (Mon) 新春旅に在り
 ふるさとは吹雪だというのに、ここ長崎はポカポカとした日がつづく。
 大輪の真紅の山茶花が陽に輝いて、港町を取り巻く山々は少しばかり夏山とは違った、くすんだ色に変わっただけで、紅葉万山を包むなどという景観はついぞ見ることも出来ない。
 まして白雪の山なみに心をさされるような季節感というものをここでは感じ得ない。
 私は終戦後十五回、何はともあれ元旦の雑煮は、山家で祝った。
 ゆく年も迎える年も、私にはなんのかんばせもなかったけれど、そうしなければならぬもののように一人ぎめに元旦は、わが家に在って山妻の乏しい中での手料理に腹をふくらませて、こたつでのうのうと新しい年の最初の日をば迎えたのだが。
 しかしふり返ってみるまでもなく、まるで宿命のように近年、年の暮れをば山家に居付いてはいないようだ。いつでもすべり込みの態たらくで、よくて三十日、どうかすると三十一日という大晦日に大ていは東京から舞い戻るのを通例とした。
 それが昨年になると、三十日にこの長崎を発って、大晦日に上野からの夜汽車にのり、元旦の朝にわが山家にたどりつくという仕儀を演ずるようになった。
          (中略)
 昨年は二月以来長崎に在り、十月の一か月だけ東京と、そして山家ですごして、ここ長崎で宿屋住いで一年をすごしてしまった。街にジングルベルがなり、大売り出しの旗のなびくもとに人々は沢山の荷物を抱えて走り廻るというのに、家庭と絶縁している旅人の私には、父として、夫として、主人としてなんの仕事もありようがなかった。
 まるで別世界の男のようにキャンバスに絵具をぬたくっておれば港に灯はともるのである。
 今年もまた、三百六十五日、宿のめしを、山家の妻ならば眼をみはるような南国の据膳を、なんの表情も浮かべずに食べるのであろうか。(長崎市にて)

   ―――今井繁三郎随筆集「雑言」より(荘内日報1961年1月)
2007/01/07 (Sun) 頌春


c9276257.JPG明けましておめでとうございます。今年は全国的に穏やかなお正月ですね。この季節に暖かい日が続くことはとてもありがたいことなのですが、それが異常気象であり、この地球にとっては深刻な問題だと思うと、心穏やかではいられません。
昨年は激動の(!?)一年だった当館ですが、今年はどんな年になりますやら。

(記事をアップするのが遅くなり、すでにお天気は下り坂。今日は雨混じりの強風が吹き荒れています…)

H2年開館から17年になります。
世界中を歩いた今井なりの美術館へのポリシー、ジャンルを問わない豊かな絵と共に収集した楽しいコレクションの数々が展示されているのですが、道不案内、少々足元不便であろうと意に介さず、見に来たい人が来てくれればそれでよい、が今井の言葉でした。長い間の口伝えで時折訪れる遠路よりのお客様が、迷いながらたどりついて、それでも「この美術館のあり方がいい。こんな感動を与えてくれる絵に出会えて、充分目的を果たせました」。
そんな中で、NHK教育テレビの新日曜美術館放映後は、山形県はどこにあるんだろうと地図を広げた方も多かった筈。よくぞ長い間造り変えようともしない、畑と林のアプローチの中を日本国中色々な方々がいらっして下さったものと思います。
そして秋には、やまがた景観賞の中で最高賞の県知事賞を頂いたのです。この美術館を写真で応募して下さったお客様がいたのでした。
17年間の色々なことは、また次にお話をしたいと考えています。
散策も含み、いつのまにか時が流れてゆくようだというお客様の言葉です。どうぞたっぷりの時間を用意していらっして下さい。お待ちいたしております。

                                館長 齋藤木草

2階

2006/12/13 (Wed) 今井のこだわり

今井は大変筆まめな人でした。どなたかにお世話になった時、品物を戴いた時等、お礼状は欠かさず出していました。
若い頃に美術雑誌の編集の仕事をしていたこともあり、文を書くのはお手のもの。すらすらとあっという間に書き上げてしまいます。その字はあまりに“達筆”過ぎて、判読できないことも…。郵便屋さんもさぞや大変だったことでしょう。
年に数回開かれていた個展の案内状は印刷でしたが、表の宛名は全て手書きに徹していました(その度に家族も手伝わされました)。「絵を描かなければ!」「絵を運ぶ手配をしなければ!」「あれもこれも…!!」そんな状態でやっているので、本人のイライラは募るばかり。家族としては何故にそこまでして…と思いましたが、それも今井のこだわり、いえ、精一杯の誠意だったのかもしれません。
そんなわけで、毎年の年賀状書き(表裏全て手書き!)は大変でした。その数約500枚!!ハガキに2~3色の絵の具を数滴たらし、二枚合わせ。そっとはがして、ストーブの周りに並べ、乾いたら「頌春」の文字を一枚一枚書き込んで行きます。
年末になると今でも、歌留多のように並んだ年賀状の中でしかめっ面をしている姿が目に浮かびます。

プロフィール
今井繁三郎美術収蔵館の管理人
美術収蔵館の周辺での出来事などをお便りしていきます。
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