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ブログ 美術館だより

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2007/09/19 (Wed) 今井画伯の絵の魅力

今からちょうど4ヶ月前の、5月19日に当館で開かれた『今井画伯を語る会』。
その時にご出席下さった臼田さかえさんのお話(抜粋)です。臼田さんは東北芸術工科大学の大学院修士課程で「こども芸術教育研究」領域を専攻されている方です。
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「今井画伯の絵の魅力 
   ~
21世紀の絵画のあり方を色彩に込めた孤高の人~」  

 私は愛知県立芸術大学でグラフィックデザインを学び、4年間それを生かしてメーカーの中で企画・宣伝の仕事をしていました。でも広告を作っても、それを受け取る相手とは直接出会うことはありません。それで「美術を通して直接人と関わる仕事がしたい」と思うようになり、シュタイナー教育と出会いました。この教育では、三原色の水彩画が幼児期から導入されていて、その絵画法を含め、シュタイナー教育の教員養成を受けるため、27歳でドイツに渡り5年ほど学んできました。留学当時はドイツだけでなく、パリやロンドン、イタリア各地の美術館や教会にも行きました。帰国してからも何度かヨーロッパを旅し、各地の美術館を見て回りました。たくさんの美術館で本物の芸術に触れていくうち、自分が好きな絵や画家と出会うことが出来るようになったのですが、そんな私が心惹かれたのが今井画伯の絵画です。
 今井先生はご自身の絵の中に、鮮やかな色彩世界を展開しておられます。青い色の広がる画面からは、この赤い色のつよい印象の絵とは違う響きを感じませんか?それぞれの色にはその色特有の音というか、響きがあるように思います。これは人間の感情の色合い、喜びや悲しみの色合いの違いといえるものかもしれません。
 しかし人間の感情は単純なものではありません。うれしいけれどちょっぴり悲しいとか、苦しいけれど希望があるとか、とても単純な色合いとはいえません。微妙にいろいろな感情が混じり合い、色が複雑に混じり合っているような重層的な響きを持っています。今井画伯の絵の中の人物も動物も、そのような人間の感情世界を表現しているように思います。
 はじめてこの美術館に足を踏み入れたときに感じたのは、そういう色が音になって響き合っている、まるで色彩の音楽が聞こえるような感じでした。今井画伯が表現しようとしていたのは、色彩の持つ力そのもの、見るものを生き生きとさせてくれる色彩の魅力なのではないか。様々な色彩が、それぞれの音を響かせていて、それが互いに響きあって和音を作り、メロディを奏で、音楽になっていく、そういう絵画なのではないか。そして作品を見る私たちに元気と勇気を与えてくれる、そういう絵画を、表現を、今井先生は求め続けておられたのだと、昨年初めてこの美術館に足を踏み入れたとき、私は感じたのです。
 先生が求めていたのは、21世紀の絵画だった。明るく豊かな色彩の中に、命をはぐくむ力を、未来を生きる希望を、表現しようとしていたのだ、と。

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5f2b9b35.JPG随分久しぶりの更新です。
この夏は梅雨明けが遅かった上に猛暑!
いつもの年なら、庭の緑を通る風は涼しく、館内もひんやりしているというのに、今年は違いました。
朝晩は幾分涼しくはなるものの、日中は頭がクラクラするような暑さ!
そのせいかどうかはわかりませんが、例年に比べて夏休み中の来館者が少なく、のんびり開館となりました。
最近はもう、“新日曜美術館”“次代につなぐやまがた景観賞”効果はなくなり、以前のように「終日来館者無し」ということも。
その代わり、といってはなんですが、近年の藤沢周平ブーム、庄内映画村(近くにオープンセットあり)の恩恵を受けて(?)、「こちらの方に足を運んだついでに当館へ寄り、
思いがけず長居することになった」という方が増えたような気がします。
e057f385.JPG訪問のきっかけはそれぞれでも、「ちょっと、どんな所か見てみよう」と、当館に足を向けて下さるということが、とても嬉しく、有難く感じる今日この頃です。
いつの間にか萩が咲く季節になりました。

2007/06/27 (Wed) 休息時の回想

 十月一日から長崎での二十七回目の個展をして帰って来ました。長崎はくんち祭の季節です。長崎には昭和三十一年の二月にはじめて行ったのですが、先日、ある事情があって、昔かいたものを探して読んで記憶を新にしたのですが、どなたかに、なんの動機でいったのですかと、よくきかれることがあります。そのたびになにげなく、出稼ぎに行ったのさ、などと申し上げておりますが、その時は本当にせっぱつまった事情がたまっていて、飛び出して行ったのです。あの当時(然し本当は今でもそんな事情は変っていませんが)絵を売って生きるということは、(人間それぞれ生れついた性格もあって)私には全く大変なことでした。
 年のくれになると、あてにする目あてはなかったが、出口をさがすために、必ず上京したものです。なんの収穫もないまま、郊外の電車の駅に立っていると、ぞろぞろ乗客が降りて来ます。重い荷物をかかえた家族連れ、フラフープをかついだ父さん達、みんな正月を迎えるためのお荷物をかかえて、いそいそと降りてくるのです。帰る家路があるのです。待っていてくれる家族がいるのです。
 元旦まで家に辿りつくことが出来ずに、山形駅で除夜の鐘をストーブにかじりついたまま聞いていた大晦日の日もありました。またぎりぎりになって金が入り、新しいオーバーまで着込んで、鶴岡駅に十二月三十一日の朝に降りることの出来た年もありました。

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 長崎に関する記録を拾ってみたところ、最初は二月に行って、三ヶ月滞在して、また長崎に引き返し、長崎で自由美術に出す絵をかいて、東京にゆき、一寸家に帰ってまた長崎に行って、年の瀬を長崎で越しています。
 またこんな年もありました。私が長崎に滞留していた夏、私の双子が連れ立って長崎に遊びに来ました。私の常宿は金はなくとも二人は泊ることも、めしを食うことも出来るのですが、彼女達に小遣いを与える金はその時はなかったのです。或る日彼女達は山を越えた海岸の側に建つ水族館に遊びにゆきました。が帰りは遠い道のりを歩いて帰って来ました。親として切ないことでありました。不甲斐ないことでありました。わざわざ長崎まで、東京から来たというのに、外でうまい長崎の食べものを食べさせてあげることも出来なかったのです。それでも、そこがエカキの面白いところで、帰りにはギリギリでしたが、ちゃんと汽車賃を与えることができました。
 昭和三十八年の十月からパリーにゆきだし、そんなことで四年程長崎ゆきは中止になりましたが、それからは毎年(ギャラリーの開設されたこともあって)長崎で個展をつづけて参りました。二度長崎の美術館で回顧展もひらきました。二十五回展の時は多勢集って祝賀宴もひらいてくれました。
 エカキは一生懸命絵を描くしかありません。八十六才になって、私は死ぬのをやめることにしました。三十回目の記念展をやるために、実行委員会が美術館に申し込んでくれました。


     ――白甕社会報No.44(平成8年11月15日発行)より――

2007/06/18 (Mon) 副業は文筆家?

以前も今井は筆まめだったという記事を書きました。
絵筆と同じくらい、もしかしたらそれ以上、万年筆を握っていたのではないかと思うほど、よく机に向かって何かを書いていました。引き出しには原稿用紙、鞄にはハガキが常に入っていて、時間があるとよくペンを走らせていたものです。
広報に載せる記事や、知人の手紙への返礼等、書いていたものは様々ですが、中でも筆まめさを表しているのがこちら。
24e4d502.JPG自ら購入した書籍、戴いた書籍、足を運んだ展覧会の図録や画集の裏の方に書き込まれた覚書(日記)です。これを手に入れた経緯だったり、その日・その頃にあった出来事だったり。交友関係は勿論、家族の健康状態(!?)までわかり、今井亡き今、ある意味とても貴重な情報です。
そして、更に注目すべきは、書籍を包んでいる包装紙!図録が入っていたらしい袋を開いたもの、デパートやお菓子屋さんの包装紙等で、几帳面に(時には継ぎはぎだらけだったりしますが…)包んであります。
そんなまめな今井のアトリエが、整理整頓が行き届いていたかは、また別の話…。

7f1d132c.JPG今日は朝から20名程の団体客がありました。
当館には、ここ庄内をはじめ、県内各地から、婦人会や老人会の方々がよく研修や日帰り旅行で訪れて下さいます。限られた時間の中で、館内をじっくりと観られる方、庭を散策される方、それぞれに過ごされて行かれます。
一年を通して、老若男女、様々な方がいらっしゃいますが、やはり一番多いのは、子育てが一段落した世代の方達です。
・・・・・というわけで、改めて考えてみました。私のように、育児真っ最中の同世代の方達にも、気軽に訪れることのできる美術館にならないかと。『美術館』というと、子連れでは多少抵抗を感じるのはよくわかります。子供が館内で騒いだり、展示品に手を触れて傷付けたり…と、想像するだけで、拒否反応を起こしてしまいますよね。実際、子供達もつい手が伸びてしまうような、今井の面白い(変わった?)コレクションが館内の随所にあります。反対に、よくわからない世界に退屈するお子さんもいるかもしれません。
当館は今井繁三郎の常設館であり、子供向けの企画展もなければ、喫茶コーナーがあるわけでもありません。確かに子育て世代には魅力的に思えませんが、この美術館の中に、この庭のどこかに、何かしら感じ取っていただけるものがあれば…と模索しているところです。
8729c972.JPGc0de6723.JPG
「どうしたら、身近に感じて
もらえるかな?」

        「う~む、わからないなぁ」


あれこれ考えているうちに、今井、いえ祖父の皮肉たっぷりの声が聞こえてきそうです。
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         「ははん、おめは何やろうってんだ?」
プロフィール
今井繁三郎美術収蔵館の管理人
美術収蔵館の周辺での出来事などをお便りしていきます。
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